「蟻の町」についての連載を始めました。

報告遅くなりましたが、『社会新報』(週刊)で、2月20日号から
「約束の地 蟻の町とその演出家・松居桃楼」
という文章を、隔週で書いています。全10回(→間違いです!全8回でした)。次は3月20日号に掲載される第3回です。

焼け跡からの復興が進みつつあった1950年代。行政用語で「仮小屋生活者」と呼ばれる人々がいました。彼らの多くは、戦争やそれに起因する失業によって住む場所を失った人々で、寺の境内や公園、旧軍用地といった場所に掘っ立て小屋を立てて集住していました。その数は、東京だけで4000人以上に上ります。有名な集住地としては寛永寺御茶ノ水駅近くのお堀の斜面などがありました。
これに対して行政は、「公共の場」を不法占拠するものだとして、彼らをトラックに押し込み、小屋を焼き払っていきました。その背景には、朝鮮戦争時の治安を脅かす貧しい人々の集住を恐れる米軍の意向があったとも言われます。
「蟻の町」はその頃、浅草の隅田公園に存在したバタ屋(廃品回収業)の人々の集住地です。彼らもまた「仮小屋生活者」ですが、巧みなメディア戦略で世論の注目を集めて立ち退きを逃れ、ついに東京都に移転先を用意させました。
松居桃楼(とうる)は、終戦前は演出家でしたが、この町に住み込み、こうした顛末の一部始終を“演出”した人物です。彼が、支援としてこの町にやって来た北原怜子を主人公に書いた『蟻の町のマリア』はベストセラーになりました。
主にこの本によって、蟻の町は有名になりました。カトリック教会では今でも、北原はいわば殉教者として語り継がれています。
しかし私は、そうした物語を作ってみせた松居のほうに視点を合わせることで、ひとつの小さな「運動」の顛末とそれを担った活動家の話として「蟻の町」について書いてみたいと思うのです。

社会新報の購入は年間定期購読によらなければなかなか難しいと思いますが、大きな図書館には置いてありますので、機会があったらご高覧いただければと思います。