小泉靖国参拝抗議の国際行動

8月11日〜15日にかけて、
「平和の灯を!ヤスクニの闇へ キャンドル行動」
http://www.peacecandle.jp/

という行動が行われる。「数百人」の抗議団が、韓国と台湾から来るのだという。このなかには、靖国に勝手に合祀された両国の遺族や支援者が多くいる。

詳細はリンクのほうを見て頂きたいが、台湾先住民の音楽グループによるライブやキャンドルデモなどが連日行われた後、15日は8時半から「小泉参拝への早朝抗議行動」が行われるという。8時半というのはもちろん、小泉参拝の時間にぶつけたものである。韓国の抗議団は、日本の戦争に動員されて死んだ人々を悼んで棺を担いで歩くらしい。

この呼びかけを知ったとき、思い出したことがふたつあった。

ひとつは、昨年韓国に行ったとき、夜中にテレビで南京大虐殺のドキュメントを観たことだ。見たことのない当時の映像などもあって驚いたが、それ以上に、南京虐殺のドキュメントをテレビでやっているという当たり前のことに驚いたのだった。日本ではまず考えられない!

おそらく、アルジェリア内戦のドキュメントを日本で普通に見ることが出来るように、日本以外の国の人々は日本の侵略をめぐるこうしたドキュメントをごくふつうに見ているのだ。日本では映画「ラスト・エンペラー」ですら、南京の部分はカットされたわけで、目をふさがれているのはわれわれの方なのである。上のようなドキュメントは欧米でもやっているだろう。

反日韓国」だからそういうのを放送しているのだとする発想−これでいけば特殊なのは韓国で、世界に通じる普遍性があるのは日本ということになる−は、明らかに倒錯している(いつだったか、「ル・モンド」や「ニューヨーク・タイムス」 などの名前を出して「日本悪玉論を喧伝する国際偏向報道」といった見出しを保守派雑誌に見て驚愕したことがある。「国際偏向報道」とは…いやはや)。

ある枠組みに閉じ込められた言論空間に暮らしているのだ、という、言ってしまえば実に当たり前の話なのだが…それを確認した気がして、ショックだった。

もう一つ思い出したのは、10年くらい前に台湾の社会運動のビデオを上映する会を開いたときのことだ。当時の台湾では、民主化運動とともにさまざまな社会運動が街頭で爆発していた。エネルギーと創意工夫にあふれたユニークな運動の映像を観て、みな大いに沸いたのだが、ヨーロッパでアウトノミアを経験してきた友人がこう言った。
「ヨーロッパでは、ドイツでの行動にフランスから大挙して参加するなど、大衆運動の連帯はやすやすと国境を越えている。こういうビデオを観ると、そんなことが東アジアでもできれば、と思うが、民主化の段階とかを考えると、まだまだ先のことだろうな」。
いつかそんな日が来るのだろうか。みなが唸った。

だが10年後、東アジアの社会運動が街頭でともに行動する日は、2005年12月に香港で反WTO闘争としてついに実現した。この闘いでは、1158人以上が連行され、14人が逮捕されたのだが、その顔ぶれは韓国人11人、台湾人1人、中国人1人(香港人だろうか)、日本人1人というものだった。(反WTO闘争弾圧救援会 http://anti-wto.seesaa.net/ )


今回の「靖国行動」が歴史上、画期的なものになるのは間違いない。
ひとつは、現在の東アジアでもっとも民主主義的なエネルギーを沸騰させる韓国・台湾の社会運動潮流が、初めて東京にも流れ込んでくるということ。「先祖(高砂義勇隊)の霊を返せ」と靖国神社への抗議行動と訴訟を行ってきたチワス・アリ(高金素梅)さんたちも来るようだが、先住民の権利と尊厳の回復運動は、台湾民主化運動の重要な部分だった。彼らにとってその先に、靖国神社があったのである。

「私はタイヤル族のチワス・アリ」
http://www.mdsweb.jp/doc/893/0893_03m.html 
「侮辱を許さない誇り高い台湾原住民原告の姿」
http://www.mdsweb.jp/doc/893/0893_03m.html


もうひとつは、日本の言論空間が倒錯した論理へと閉じてゆくなかで、東アジアの連帯行動が東京に現れることは、この空間に風窓を開く経験になるだろうということだ。「デモが起こるということはその国が政情不安定ということを意味している」(嫌韓本『韓国人につけるクスリ』)などという、ソウルはもちろんパリでもシアトルでも通じない「常識」がまかり通る国になってきた今、国際主義はますます重要になる。

数百人の<世界>とともに街頭に立つ日が、今から楽しみだ。



追記
8月15日の靖国神社では、抗議デモなどに対する右翼の暴力が毎年スゴイ(友人は骨を折られた)のだが、日本のテレビでは映像を撮っていても決して流さない。だったらそういう映像は外国に紹介したらいいのに、とぼくはかねがね思っていた。ところが、そういうのはとっくに韓国などでは流されているのだそうだ。知らないのは日本の茶の間だけ。今年もそうした構図が再生産されなければいいが。