ヒョンスンの放課後

「お父さ〜ん、宿題手伝って〜」と小学生の娘が甘える。
「なんだ、お父さん英語分からんぞ」と渋る父親に「じゃあ国語」とすかさず別の教科書を押し付けながら、「しゅーくだい♪ しゅーくだい♪」とヘンな節をつけておどける娘。

平凡で幸せな家庭。
ホームビデオのような、どうということもない映像。
しかしそんな映像が我々にとって新鮮に映るのは、そこがピョンヤンだから。

「ヒョンスンの放課後」は、イギリス人のチームがピョンヤンの日常を撮影したドキュメンタリーだ。13歳のヒョンスンと、11歳のソンヨン。二人の少女の家庭を写している。

「主人と母があの子に厳しいので、私はついわがままを聞いてしまうんです」と語るヒョンスンの母親。「私は静かなのが好きなんですけどね、ウチは娘3人でしょ、なにしろうるさくて」と嬉しそうに笑うソンヨンの父親。「ウチの娘はみんな家を出ちゃったからねー、この子を見てるともう一人子供が欲しくなっちゃうよ」と言う友人に「こういう楽しい日の夜は頑張っちゃうんだってよ〜」とオヤジな冗談も出る。

ありふれた風景だが、もちろん珍しいものも少しはある。テレビで軍事パレードを観ながら「すごいねえ。まるで機械だねえ」としきりに感心するおばあさんが「これにはアメリカの奴らも怖かろう」と呟く。「はーい、みなさん。先週の復習でーす」と、手作りの図解パネルを示しながら声を張り上げる先生。だがその内容は「首領様の三つの偉大さとは?」。専業主婦の母親がせっせと朝食を作る台所には、スイッチの切れないラジオが取り付けられ、なにやらスローガンをわめいている。

だがしかし、そうした世界を所与のものとして生きている彼らにとっては、それもまた日常の一部に過ぎない。おばあさんは「お前のお父さんも昔マスゲームに出たんだよ」とテレビから振り返って孫娘に話しかけ、「えっ!ホント、お父さん?」と目を丸くするヒョンスンに父親は「うん。マスゲームはないけど、式典は何度か出たよ」と自慢する。

ヒョンスンとソンヨンは、毎日2時間の猛練習が実ってマスゲーム参加選手に選抜される。当日が近づき緊張するヒョンスンに、ぼくは心の中で声援を送っていた。マスゲーム将軍様も大嫌いなのだが、ぼくはこのふたつの家族をすっかり親しく感じるようになっていたのである(とくにソンヨンのお父さんはいい人!)。気がつけば、ピョンヤンの日常の内側からものを見ていた。

誰もがある時代的・社会的な条件のなかで考え、生きている。ピョンヤン市民も我々も、その点で何も変わらない。東京の中学校では「首領様の三つの偉大さ」を教えていない、と自信を持って言えるだろうか。為政者の言うとおり疑問もなく赤旗を振り、日の丸を振る人々。一方で確かに営まれている、とりかえのきかない誰かの日常。

チラシのコピーは「あなたの知らない国に、あなたの知っている家族がいます」。ほんとにその通りだった。その事実の発見は素晴らしくて、同時に苦い。