宮崎滔天の「世界革命」

拙稿「宮崎滔天の『世界革命』」の後編が掲載された「アナキズム」14号が今月11日に発売された。前編が掲載された同誌13号は昨年5月に発売されている。
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宮崎滔天は、有名な割にはその思想が知られていない人物である。孫文の盟友として中国革命支援に生涯を捧げた人、といった程度の認識が一般的だろう。けっこういい加減な紹介をされていることが多く、通俗本では右翼に分類されていることさえある。岩波文庫で出ている「三十三年の夢」だけでもきちんと読んでいれば、そうした誤解はありえないので、通俗本著者は滔天の主著すら読んでいないのである。

だが、通俗本でなくても、滔天がどのような思想から中国革命にかかわったのか、という点について正面から検証する文章に出会うことは少ない。たいてい、「アジア主義者」とか「アジア連帯主義者」とか「侠の人」とか、わけのわからない形容ですまされている。

「三十三年の夢」の序文にはっきり書いてあるように、彼は貧困と帝国主義を一掃する「世界革命」を目指したのであって、アジアの連帯といった地域主義的な主張を掲げたことはない。中国革命は、世界革命のための根拠地として考えられていたのである。

滔天が生涯の各時期に状況のただなかで書いた文章を読むと、そこに射程の長い刺激的な思考を見出して何度も驚かされる。そこには福沢諭吉、大井憲太郎、内田良平らによる、いわゆる「アジア主義」とはまったく異なる文脈がある。一足早く近代化をとげた日本から進歩を輸出するというのが福沢らの発想(そのためには連帯も侵略もあり)だとすれば、滔天の信念は、近代が世界的にもたらしている矛盾―階級分化と帝国主義―こそが問題であり、そのために中国を根拠地とした「世界革命」が必要だというものである。それはいわゆる「アジア主義」とは異なり、日本中心主義を免れるはずであった。実際、彼は当初、日本人をやめて中国人となってその革命に従事しようと考えたのである。

だがその彼は、結局は内田良平などの侵略主義的な潮流と少なからず行動をともにすることになる。この事実を、我々はどう見るべきなのだろうか。最後まで「世界革命」を信じた滔天。晩年(1922年没)は日本の朝鮮、中国侵略を痛烈に批判し、その結果としての日本の「亡国」をも予言した彼は、いったいこの矛盾をどう生きたのか。

拙稿「宮崎滔天の『世界革命』」は、そうした問題意識で滔天の思想の遍歴を辿ったものである。前編後編合わせて150枚とずいぶん長々しいものになったが、それでもだいぶ端折ってしまったという感が否めない。何がしか意味のあるものを書けたかどうかは判らないが、あまり紹介されることのない文章も多く引用して、宮崎滔天の思想に興味をもって頂く入り口となることは心がけたつもりなので、「アナキズム」を手にとる機会があったら、ぜひ目を通して頂ければ幸いである。