未来世紀「前衛党」

セクハラ事件で共産党を離党した筆坂秀世が、新潮社から『日本共産党』という本を出すそうだ(毎日 4/11)。このなかで筆坂は「党大会で現実離れした大言壮語が飛び交っている」「選挙の敗北を素直に認めず、毎回、政策は正しかったと総括する」などと共産党を批判しているらしい。

80年代、伊里一智というペンネームの東大大学院の学生党員が、同様の批判を行って宮本顕治の辞任を要求したことがあった。筆坂の批判内容は、このときのものとまったく変わらない。おそらく実態はそのとおりなのだろう。

しかし同記事によれば、筆坂は不破、志位、市田に次ぐ党内第4位の幹部だったそうで、現場活動家の伊里が党内民主主義を要求したときのような感動は、正直言って感じられない。なんだかなぁ、という感じだ。

ただ、考えさせられるのは、第4位の幹部ですら、組織の作風と文化に違和感を感じていたという事実だ。そして「現実離れした大言壮語が飛び交っている」党大会において長く壇上に座ってきた筆坂が、党大会で党批判ビラを撒くしか発言の手段がなかった伊里とまったく同じ違和感を共有していたこと。さらに党を離脱させられるまで、それを解決することなんて出来そうもないという無力感を感じていたのだとしたら、「前衛党の類」の組織のなかを生きるということは、いったいどういう経験なのだろうか。なんだか筒井康隆の小説みたいだ。

社会主義体制下で生きるというのはどういう経験か、ということともつながっているような気がする。