折り合う

古い新聞を読んでいたら、「司馬さんの空白」なるコラムがあった(1/31 毎日)。司馬遼太郎の不在による空白を埋めるために、世の人々は養老孟司や『国家の品格』の藤原正彦を読むのだという。養老は「若者は自分にあった仕事などと考えず、社会が求める仕事に自分を合わせなさい」と説き、藤原は「論理的に正しいからといって、それを徹底すると社会は破綻する」と言っているそうだ。コラムはライブドアのことなどを引き合いに出しながら「新しい論理が世を席巻し、不安感が増している。そんななかで『世の中は理屈だけではない、世間と折り合おう』という先輩の説教に人々が喝采を送るのは、そう不自然ではない」と結んでいる。
キモチワルイ。

だいたいぼくは、この「折り合う」とかいう意味不明の言葉が大嫌い。新保守系の情緒的な文章で頻出するまとめ言葉になっているが、使用禁止にすべきだと思う。