天安門事件はあった。

6月4日。天安門事件から17年。
先日、何年かぶりに「中国民主陣線」のAさんとある集まりで再会した。
1989年の天安門事件直後、数千人の中国人留学生たちが日本でデモを行った。
Aさんもそのひとりだった。

そのなかでも祖国の民主化のために積極的に活動した学生たちは、中国に帰ることを断念し、「特別在留許可」という不安定な在留資格だけを得て、日本で活動を続けてきた。Aさんもまた、留学前からの夢を諦め、日本に留まった。彼の中国の友人たちは、Aさんの目指したその道で成功し、国内外で活躍している。

祖国の状況から切り離された異国で、民主化運動を続けるのは容易ではない。一方、経済発展によって自信を得た中国政府は、次第に民主派活動家の帰国に寛容になっていった。最近では転向書さえ書けばそれ以上咎められないとあって、Aさんの仲間も数人が帰国していったという。
「Aさんは転向書を書いて帰国する気はないの?」友人が尋ねた。
「ないね。帰って何するの?」と、Aさんはさらっと答えた。
「懐かしさから会いに来てくれる友人や親戚たちに、迷惑をかけるだけでしょう?公安は監視を続けるだろうからね」。

日本人の友人が「まるで未来都市だ」と目を見張った上海を、Aさんは見たことがない。田舎で暮らしている年老いた両親とも、17年間会ってはいない。中国国内の様々な社会運動や流動からも、遠く隔てられている。だがAさんと仲間たちの存在は「天安門事件はあった」ということを確かに示し続けている。

毎日新聞(※)は、事件のとき大学3年生として天安門広場にいた会社員女性(38)の「事件の記憶は永久に消し去ることはできないでしょう」という言葉とあわせて、丁子霖(元中国人民大学助教授)を代表とする事件の遺族126人(「天安門の母」グループ)が、賠償と再評価を求める書簡を中国政府に送ったことを伝えている。丁は、彼女の17歳の息子を広場で失った。

天安門事件は現代中国が抱える歴史の傷だ。いつの日かその傷が中国に受け入れられるときが来るはずだ。光州事件のように。




天安門の犠牲者を訪ねて」(丁子霖/1994年/文芸春秋社
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※ネット版。5日朝刊に掲載か。