【原発一般】原発体制の解明が必要だ

福島原発事故の被害の広がりと大きさは、かつてないような原発への批判的世論を醸成し、世論の勢いに乗ってメディアの一部もついにご禁制の原発批判に踏み込むようになった。そしてそのことが支配階級内部に動揺を起こした結果として、決定的なリーク情報が次々と飛び出てくるようになった。

だが、保安院のやらせ問題とか、自民党の党への個人献金総額の実に7割が電力会社からだったとか、東電がTBSやテレビ朝日の株をかなり保有しているとかといった事実の暴露は、むしろ原発体制の強大さを教えてくれているように思われる。そして、民主党の成長戦略部会の「原発早期再稼動」方針や経団連の対応などを見ていれば、頑強な体制を誇る彼らが現時点では寸毫も譲る気がないことがわかる。福島の深刻な事態があり、原発批判世論の拡大といった状況があっても、そのことはこの体制に実質的な打撃をまったく与えていない。

原発が安全だとか安いとかといった言説のすべてが世の中で完全に信用を失う日が来たとしても、原発推進体制が安泰である限り、誰も信じない嘘のうえで原発は運転し続けるだろう。もちろん現存する原発がおおかた寿命を迎える30〜40年後には、自然死としての「脱原発」が、果たされるだろうが、最大限、彼等の財布が傷まないようにその過程は管理されるだろう。15年戦争で儲けた連中が、戦後もそのまま政財界で生き延びたことを想起してほしい。少しばかり支持を失った程度のことであきらめる連中ではないのである。それにこれからも彼らは、巨額を投じてマスメディアにアメをばらまき、監視と排除のムチを振るい続ける。こうして、「その社会で支配的なのは、常に支配階級のイデオロギー」なのである。

ぼくは今、放射能や原子炉の仕組み以上に、この原発体制の解明こそが必要だと思う。一般に思われている以上に、原発体制は権力中枢にしっかりと根を張っている。そして、それにはそれなりの理由があるはずだ。いったい、日本の権力にとって、原発とは何なのか。

たとえば高木仁三郎は、沸騰水型と加圧水型を交互に建設しているのは各メーカーに仕事を与えるためであり、それこそが原発の目的である、という趣旨のことを書いているが、そこからインスパイアされる考えを、素人なりに形にしてみると、以下のように展開できる。


地域独占体制の下では、電気は市場で売られることはない。その料金は実質的な税金として住民から「収奪」されている。景気にも競争にも左右されず、毎年、安定的に吸い上げられるこの富は、電力会社の事業を通じて、三井、三菱、日立、東芝そして建設会社と、財界中枢に安定的に分配されてきた。このシステムを主催するのは国家である。経団連や地方財界における電力会社の存在感の大きさは、このシステムのいわばお勘定を預かる幹事役であることに由来する。電力会社の事業による分配には火力発電なども含まれようが、規模の大きさを考えればほとんどイコール原発と言っていいはずだ。
この分配を、日本経済のなかで占める金額的な比率だけで評価してはいけない。もっとも大事なのは非市場的な安定性である。市場的な事業と違って景気に左右されず、狭義の公共事業とも違って政策や時期によって趣向や規模が変わることもない。お金の入り口から出口まですべてが安定的で、巨額で、おまけに国家の保証もある。その存在は、企業にとって非常に頼もしい支えになる。いわば、国家と財界中枢が形成する特権クラブのクーポンなのである。そして国家から見れば、戦後の開発主義路線にとって目立たないが重要な柱のひとつだったのではないか。
この「安定性」という特性は、システムの自己増殖をもたらす。特権クラブは拡大する。たとえば広報だの、メディア監視だの、研究だのという名目で、様々な法人が作られ、そこに官僚、東電や様々な企業OBなども天下りし、そうした法人から様々な名目でメディアや学者に金が支給される。こうして、メディアや大学など広範囲な分野を支配しながら、特権クラブのすそ野が広がっていく。
彼らが原発を捨てる気にならないのは、安価だからでも安全だからでもなく、もちろんCO2とは何の関係もなく、この構造によるのである。「核武装能力の維持」という国家の側の隠された動機もあるとは思うが、それは最重要ではないだろう。
チェルノブイリ以降新規立地が難しくなり、70〜80年代のような身入りは期待できなくなったこのシステムだが、続いているという信念が共有されているだけでも収入を約束される参加者も多いわけで、一年でも長く、一円でも多くシステムからの分配を期待するというのが、参加者に共有されたモチーフなのだろう。


…以上はもちろん、ぼくの思いつきである。たとえばこうした絵が描けるという話だ。
ぜひとも、社会科学系の学者に、国家と資本が織り成す構造のなかで原発を捉える作業を本格的にやってほしいと思う。
原発を止めるには、放射能や原子炉工学といった理系の話だけでは不十分であり、その原子炉を動かしている人々を動かしている、政治、経済、制度、イデオロギーをトータルに見る必要がある。合理性を説くだけでは「送発電分離」だって実現できない。これを全力をあげて潰そうとする連中が、いかなる構造のうえに立っているのかを見切ってやらなければならないだろう。