「生きている兵隊」を読む

先日、中国映画「南京!南京!」を見てきた。
http://jijitu.com/filmfestival2011/

日本兵を主人公の一人に設定して南京事件を描いた物語だ。
有志の手で1日だけの上映が行われたもので、スペイン国際映画祭で最優秀作品賞を受賞するなど、国際的に高い評価を得ただけのことはある傑作だった。戦争映画として、東アジアの映画史に残る作品だと思う。
だが、「南京!南京!」についてはまた別の機会に書く。
今日は、その後に読んだ小説「生きている兵隊」について書こうと思う。

「南京」を観て思ったのは、侵略者としての日本兵を人間として描くこうした作品は、本来、日本人が作るべきではないか、ということだった。いつも思うのだが、戦後60年がたつというのに、日中戦争における侵略軍兵士としての経験を描いた映画がほとんどないのは、どうしたことだろうか。「1本もない」と書きたいところだが、私が知らない作品の存在を否定できないので「ほとんど」としておく。だが、アメリカには「プラトーン」「フルメタルジャケット」があり、フランスには「いのちの戦場 アルジェリア1959」があり、韓国には「ホワイトバッジ」(未見だが)があるのに、これらに比べられる作品が、日本にはない。

映画を観た翌日、そういえば南京攻略戦の取材をもとに書かれて発禁になった「生きている兵隊」という小説があったなあと思い出し、未読のままだったものを本棚から引っ張り出して読んでみた。石川達三が南京陥落の数ヵ月後に書き、中央公論で発表しようとしたが発禁となり、石川が新聞紙法違反で有罪とされた小説だ。歴史の教科書には必ず出てくる有名な作品であり、私も本棚に入れてあったが未読であった。

一読して、予想外の衝撃を受けた。すごすぎる。捕虜虐殺や略奪などをほのめかす箇所がある程度のことだろうとタカをくくっていたが、とんでもない。小説は最初から中国人青年が無造作に斬殺される場面で始まる。その後も、中国人、とくに民間人の虐殺が繰り返し描かれる。描写も直接的で具体的である。略奪や強姦(枯娘狩り。殺して金品も奪う)の話も多く出てくる。こんな小説を1938年に発表しようとしたなんて、信じられない。

たとえばこんな感じだ。

彼は物も言わずに右手の短剣を力限りに女の乳房の下に突きたてた。白い肉体はほとんどはね上るようにがくりと動いた。彼女は短剣に両手ですがりつき呻き苦しんだ。丁度標本にするためにピンで押えつけた蟷螂のようにもがき苦しみながら、やがて動かなくなって死んだ。立って見ていた兵の靴の下にどす黒い血がじっとりと滲んでいた。

そして、こうした残虐行為を行う兵士たちの内面がリアルに描写されている。感傷的な文学青年肌だがむしろ苛烈に行動する、校正者出身の平尾一等兵。傍観者的な思索にふけりながら心を使い分けて兵隊を演じる、いかにも優等生的な医大生出身の近藤一等兵。兵隊でもないくせに、スコップで敗残兵の頭を次々と割っていく従軍僧侶の片山。とくに感情を動かされることもなくフナを殺すように中国人を殺害できる笠原伍長。

こうした一人一人の個性をきびきびと描写しながら、彼らがそれぞれの個性的な道を通って、「敵の命をごみ屑のように軽蔑すると同時に自分の命をも全く軽蔑している」兵隊として、殺人も強姦も酒のつまみにして自慢する日本兵として完成していく精神的過程を、あまりにもリアルに描いている。

平尾一等兵について引用すれば、こんな感じだ。

彼の勇敢さはやや自棄的なまたは嗜虐的な色彩をおび、強いて言えば発狂にちかい勇敢さで、その裏をかえせば結局出てくるものは彼のロマンティシズムの崩壊に際しての狂暴な悲鳴であった。だがその狂暴な悲鳴もながい戦場生活がつづくならば、やがてどの方角かに妥協点を見出し、自分の気持の安定をさがし出さなくてはならない筈であった。

死んだ母親にとりすがって泣く娘の声に耐え切れず、「ええうるせえッ!」と叫んで刺殺する平尾だったが、ここで暗示されているように、小説の最後の頃にはすっかり安定した無感動な残虐さを獲得する。略奪した骨董品に中国悠久の歴史ロマンを楽しみながら。

これこそ日本版「フルメタルジャケット」ではないか。

実際、「生きている兵隊」の描写はとても映像的である。苦く寂しいラストシーンなどは、緩急のつけ方も含めてとても映画的だ。これを原作にすれば、日中戦争における侵略軍としての経験を日本人の視点から描いた、優れた作品を作ることができるに違いない。

面白いのは、石川が戦争に反対する意図でこの小説を書いたわけではないということだ。とにもかくにも、南京で見た「真実」を書きたかったのであり、ほかに何の意図もなかったようなのである。だがそのおかげで、この小説は何らかの政治的希望を排除して侵略軍のリアルそのものを描写することができた。その底には、なんというかニヒリスティックな視線がある。いやな感じだ。


フルメタルジャケット」(1987年、アメリカ。スタンリー・キューブリック監督)
http://www.youtube.com/watch?v=5voVVhel4YY
「女子供を殺すなんて簡単さ…動きがのろいからな」